インドネシアのよもやま話(インドネシア語について)
みなさんこんにちは。
私は、仕事の関係で、年間100日ほどインドネシアに出張していた時期があったのですが、たいへん興味深く、面白い国です。
インドネシアには、「ゴムの時間」という言葉があります。
時間はゴムのように伸び縮みするものという意味で、時間にアバウトな人が多いことから生まれた言葉だそうです。
実際、交通機関、アポイント、プロジェクトなど、どれを取ってもスケジュールどおりに進むことなどありません。
アポイントでも、1時間や2時間遅れて来ることなど日常茶飯事で、4~5時間遅れでも来るだけまだまし、といったこともあります。
ジャカルタは交通渋滞が世界一ひどいと言われることもあるほどなので、移動時間が本当に読めないということもあるのですが、そもそも時間どおりに行動するという意識がほぼないように見受けられます。
インドネシア人同士で、明日のアポイントの取り決めをしている様子を見ていると、「明日の午後ね」という話をしているのですが、時間を決めている様子がありません。
どうやら、詳細に詰めて取り決めを行うという行為自体が、相手に対して失礼という感覚があるようで、詳しい時間は当日、その時になってやり取りすればいい、というのが彼ら流のようです。
案の定、次の日は、何時に来るか分からない相手を延々と待ち続けることになる訳ですが・・・。
世界一時間に几帳面な日本人としては、このような状態に非常にイライラさせられる訳で(しかも、本社や上司など日本サイドにこの状況を説明しても、全く理解してもらえない)、最初の内は極めてストレスフルな状況に置かれます。
しかし、2週間もすれば、諦めと共にこのカオスな環境に適応していくことになるのです。(苦笑)
ところで、「インドネシア」と「時間」というキーワードでは、もう一つ面白いことがあります。
インドネシア語には「時制」、すなわち現在形・過去形・未来形がないのです。
「彼は(明日)来ます」も「彼は(昨日)来ました」も、同じ「Dia datang」(彼 来る)です。
この後に「明日(besok)」が付けば「彼は明日来ます」と未来のことだと理解しますし、「昨日(kemari )」が付けば「彼は昨日来ました」と過去のことだと理解するのです。
言葉として存在しないものは、人間は認識できないといいます。
時制が存在しない言語だから時間にアバウトな人々になったのか、時間にアバウトな人々だから言語に時制が存在しないのか、非常に興味深いところですね。
私にとって、理解不能だけれど、何だか妙に魅かれる国、それがインドネシアです。
ではまた。